2021年

本当に、本当に、本当に残念。
1993年、ギタリストとしての仕事が増え始めた頃、
僕は、どうしても一緒に音楽を作りたいと、思ってた人でした。
あるアーチストのアレンジャーを任された時にオファーした時が、
初めての出会いでした。
スタジオで会うまでは、怖い人のイメージ・・・。
僕もまだ20代だったし、大先輩にオファーなんて、相当ビビってました。
レコーディング終了の夜、約束もしていなかったのに、
たまたま行ったBARのカウンターで遭遇、隣の席で乾杯して、
それからの付き合いで、レコーディング、ライブ、イベント、ツアーと、
いつも明るい笑顔で、接してくれて、
「もうさ、アイドルとかじゃ無いんだから、よっちゃんじゃなくて、
よっくんだな。」って、それ以来、ずっと、よっくんって呼んでくれてました。
僕は、ポンちゃんって呼んじゃってましたが・・・。
30年弱、いつ会っても、すごく刺激も感動もハッピーも、全て与えてくれる人でした。
2019年1月26日の神戸が、一緒に音を出した最後のLIVE。
2019年12月28日、僕のソロアルバムで叩いてくれて、
レコーディングとしては、最後になる一緒の音楽作り。
いつも、おしゃれで、ダンディで、ふざけてて、可愛くて、厳しくて、少年のままな、
ポンタさん、出逢ってくれて、ありがとうございました。
あなた程の、人間味を音に出せるドラマーなんて、もういないかも知れません。
一緒にプレイできた事がたくさんの宝物です。
もっともっと「あれや、これや」の、たくさんの話も聞きたいな。
語り継がれる「ポンタ伝説」まだまだ、休めませんね。
もう、ここじゃ、伝えたい事、書ききれないや。
本当に、本当に、本当に感謝。
 
2021年3月
 

2021年3月17日

2020年

24年ぶりの野村義男名義のソロアルバム「440Hz with〈Life of Joy〉」発売までたどり着けました。
やっとたどり着けた感満載です。
50歳の記念アルバムを作ろうと思い立ったのが7年前でした。
そこからレコーディングを始めたんだけど、メンバーやスタジオのスケジュール等でなかなか前に進めないまま、数曲のレコーディングで50歳を迎えてしまった状態。
もはや、完成しないアルバムかもって思ったりもしましたが、それまでに参加してくれた何人かのミュージシャンに完成させなければ、会わす顔が無い。
もう、何年かかってでもCDにしなければ。
そう、参加、関わってくれた全員が、ここまでの僕の人生のファミリーだったんです。
メールだったり、電話だったり、直接だったり、アルバム参加のきっかけはバラバラでした。
ただ、同じなのは、全員ノーギャランティ。
僕のアルバムに音を入れるのに、今回はノーギャラで、快く参加してくれたメンバーと一緒に作ったアルバムです。
もう、最高なアルバムが完成しました。
タジオで演奏しに来てくれたミュージシャンは全員笑顔でした。
今日までギターを弾いて来て、これだけの素敵なミュージシャン達が周りに居て、参加してくれて、これ以上の幸せを求めるなんて贅沢すぎる7年でした。
大御所の先輩ミュージシャンから、同期、後輩、みんな野村義男に関わってくれる。
たぶん、日本一の幸せギターリストは僕です。もはや今後このアルバムを超える自信がないくらい、愛でいっぱいのアルバムが完成しました。
聞いてくれる皆さんにとって、初めての名前もあるかも知れません。
気にして下さい。調べて下さい。その人は僕の大切な人だから。
絶対にその初めての名前の人の音を、あなたは聞いた事があるはずです。
ミュージシャンってそう言う仕事かも知れません。
見えてる人と見えてない人、どちらも居ないと成立しないんです。
そのどちらも体験したら、仲間が増えてました。
僕にとっての宝物です。本当は、この倍以上の宝物の皆さんに参加して欲しかったのですが、そうしたら、CDが2枚組とかになりそうだったので、珠玉の12曲でまとめました。
ぜひ1曲目からの流れで、アルバムのドラマを楽しんで下さい。全曲、本気です。
是非、参加ミュージシャン達を検索して下さい。
日本中の音楽に引っかかります。
名前の知らないミュージシャンこそ、大好きなあの曲に参加してるかも知れません。
僕の大切な友達達をもっと知ってください。
調べて下さい。聞いてください。
僕にとっての宝物は、ギターでもお金でも無く、経験と繋がりでした。
本当に一生に一度作れるかのアルバム完成しました。
是非、楽しんでください。
アルバムの完成を知らずに亡くなったメンバーの分も大切にしました。
人間っていいな。音楽って凄いな。全ての曲が生きてます。ギター弾いてて良かった♡
アルバムに興味を持ってくれてありがとう。聞いてくれてありがとう。
今日までギターを弾かさせてくれてありがとう。かかわる全ての人に感謝。ありがとう。

2020年2月29日

2019年

連日の「気になるニュース」がネット等で流れる中、本日発表がありました。
本当に、もっともっと長く長く現場に出ていて欲しかったと思う反面、やっと、ゆっくり休めますね。とも思っちゃいました。お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。
僕にとっては、あなたの存在が今日までギターを弾かさせてくれました。
「本当にギターを弾きたいのなら、ジャンルも関係なくもっと色々な音楽を聴きなさい。」
「リズムが悪い。上手くなりたいのなら、フレーズよりも、まずはリズムを正しく、正確に刻める様にしないと、うるさいだけだよ。」
ギターの事については、本当にたくさん怒られました。
でも、1度も「ギター辞めちゃいなよ」とは言わなかったのは、今、思えば不思議でしたね。
歌って、踊れるタレントの卵たちの中で、歌えない、踊れない卵も捨てずにちゃんと見ていてくれた事、本当に「ありがとう」だけでは、返しきれません。
事務所を辞めた後にも、テレビ局やスタジオで偶然会うと、たくさん話しかけてくれましたね。本当に嬉しかったし、周りのメンバーにも自慢でしたよ。
あそこの事務所出で、ギターなんか弾けるの?音楽を作れるの?って言われ続けても、
とにかく事務所を辞めてからの二十数年間、ダメ元でぶつかって来ました。
それは「ダメ元=Youやっちゃいなよ」だったからです。本当にすごい人。
僕みたいに退所した人間までプロデュースし続けてるんです。
思い出だったり、言葉だったり、ここでは書ききれない事ばかりです。
僕を見つけてくれて本当にありがとうございました。
出逢えた事、本当に感謝しています。最後に話しをしたのは、3年くらい前でしたね。
あの時、スタジオに居た周りの人にいっぱい自慢してくれましたね。
「こちら、ギタリストのよっちゃん」って。本当にギター弾いてて良かった。
1つでも認めてもらえるものができた事が、僕の自信です。
僕を見つけてくれて、ありがとうございました。本当にありがとうございました。
もう少し、こっちでギター弾いてるんで、気になるリズムが悪い時があったら、叱りにきてくださいね。あと、いつまでも「Youやっちゃいなよ」は忘れずに居ますからね。
本当にジャニーズ事務所の子で良かった。
僕が小学校6年生の時に、ジャニーさんがスカウトしてくれた時に渡してくれた名刺、今でもずっと僕の机の上に、にパッケージして、毎日見えるようにしてあります。宝物ですから。
本当に長い間お疲れ様でした。もう、ゆっくりしてくださいね。心から感謝しています。
 

2019年7月9日

2018年

ザ・芸能界。
日本における「芸能界」と言う世界は、何十年と言う歴史を積み重ねてると思うのですが、
その中での「音楽」も、色々な人々の心を支えてきました。
その曲を聞くと、楽しかった時を思い出す曲。
その曲を聞くと、悲しくなる曲。
その曲を聞くと、幼少時代に戻れる曲。
その曲は、絶対に聞きたく無い曲。
僕はギターという楽器を演奏する人なので、どうしても、CDやレコード。ラジオを聞いても、「ギター」の音に耳が傾いてしまうのが、本音です。
そんなギター少年は、小学生の頃にギターと出会い、中学生でエレキギターを知り、高校生の時にバンドでデビューを果たします。
僕らの時代は洋楽が全盛期で新しいジャンルの音楽や、少しするとコンピューターが音楽に導入される様になった時代です。
もちろん、例に漏れず、僕もその時代の洋楽でたくさん勉強したのですが、
日本にも、たくさんの「ロック」の歴史があり、たくさんの「ミュージシャン」が、
心の奥のくすぐったい所の「音」を、奏でてきたのです。
日本におけるエレキギターの師は、誰が何を言おうと、寺内タケシさんであり、ジャンル問わず、全ての
プロミュージシャンの頂点だと思っています。
その寺内さんが開いてくれた門から、日本における、最初のバンドブームが始まったのではないかと。
'60年代初頭からジワジワと来た「GSブーム」。
僕が「音楽物心」が付いた頃には、すでに海外公演も果たした、スパイダースを始め、
タイガース、テンプターズ、ブルーコメッツ、オックス、カーナビーツ、ゴールデンカップス、ワイルドワンズ・・・。
星の数ほどある、グループサウンズの先輩ミュージシャン達が、名曲を奏でていました。
日本と言う国はブームが過ぎると、振り向きもしない方が多い様で、3〜40年同じ曲を聴き続ける人は少ないかと思います。
数々のバンドが解散して行く中、苦難を乗り越えて産まれたバンドが「PYG」でした。
もちろん、僕は後追いですが、すっごく夢中になりました。もちろん、今でも聴いています。
スパイダース、テンプターズ、タイガース、人気バンドのそれぞれのメンバーが集まって結成したバンドであります。
1971年結成で、シングル5枚、アルバム2枚を発表して自然消滅な、日本のスーパーバンドであります。
そんな PYG のリーダーが、ギターの井上尭之さんであります。
のちにテレビドラマの「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」「寺内貫太郎一家」「前略、おふくろ様」等々、
楽曲提供、そして、演奏してきたギタリストであります。もう、こんなギタリストは出てこないのかなぁ〜。
そう、日本国民の98%は尭之さんのギターのサウンドを聞いてるハズです。
僕がテレビに夢中の頃、沢田研二さんがテレビで歌ってる番組のバンドは
「井上尭之バンド」ってスーパーが入ってるものが殆どでした。
何度か、尭之さんと一緒ギターを弾ける機会があった時がありました。
もぉ~ね、大興奮で、尭之さんに、当時の音作りの話しや、ギターのフレーズを、根掘り葉掘り聞かせてもらった事があります。
それを丁寧に、ちゃんとアンプは何でギターは何で・・・。って教えてくれて・・・。
ヤバい、こんなに日本と言う国で、無意識ながらもみんなが聞いてるギターサウンドって、他に無いんじゃないかな?
って思ったら「人はサウンドを表す」って思っちゃって、
これ程までに歴史を残すサウンドを弾いて来たのに、日本一、謙虚で優しいギタリストのままなの。
僕もこんな優しいギタリストになれたら本望であります。
尭之さん、永遠なれ。今頃天国でムッシュと、あ〜でも無い、こ〜でも無いってやっててほしいなぁ〜。
尭之さんが残した日本ロックのDNAは、ちゃんと歴史を引き継いでいます。
安らかに。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
僕がどれだけ頑張っても、尭之さんの足元にも及びませんが、あの、サウンドを、人間臭い音を、お手本にギターを弾き続けて行きたいと思います。本当にギタリストになる事を選んで良かったです。
 

2018年5月