野村哲学道  「野村のたわごと。」の入り口

2004年の野村哲学堂


 今年も早いもので、気がつけばクリスマスのプレゼントやら、年賀状、など、2004年にサヨナラする時期になってて、この1年は自分にとってどんな1年だったのか、振り返るのにはいい頃になってますなぁ〜。
人それぞれの1年があると思うけど、僕にとっては、色々と、自信、葛藤、満足、挫折感、失望感やら、とにかく今までにない位、中身の濃い1年であったのは間違いない1年でしたな。
まぁ、40歳になったったみなさん曰く、人生の折り返し?って言う人も多いけど、僕にとって仕事もプライベートも見つめ直すいい1年だったみたいよ。
御存じの通りTHE GOOD-BYE も慌ただしく動いた1年だったね。
「再会LIVE」から、CD発売、「READY GO!ツアー」まで、とても14年間(!?)休んでいたにもかかわらず、メンバーを、グッバイを動かさせたスタッフやファンの「4人共!もうそろそろ起きなさ〜い!!」のパワーは本当に凄いものがあったと思います。
今回のツアーも「再会LIVE」の時にMCで言ったから、それを実行した。って言う事だけではなくて、本当にグッバイを見たい、体験したい。ってゆうのがメンバーやスタッフに届いたからこそ、実現したツアーだったと思うんだよね。
メンバー同士は活動休止中も、とにかく付き合いはあったし、特にこの1年で更に仲良くなったとか、そんなんじゃなくて、いつもの延長でライブもできたから、変にギクシャクしてなくて、活動休止前と、何ら変わり無くライブができたのも嬉しかった感じかな。
ただね、なんかさ、ライブ中に”ぐっ”っと来ちゃう瞬間が何度かあって「やばやば〜涙腺弱いンだから〜(困)」な時ってね、僕の場合、メンバーや、グッバイの音に反応してたんじゃなくて、来てくれた人達を見てて、目が合ったりした時にその人の14年間の人生や、やっと見れた〜。ってゆう内面的な訴え(?!)が見えた時に僕の中で「なんで、こんなに待ってんだよぉ〜、バカやろぉ〜(涙)」なぁ〜んて、思った瞬間に「うわぁ〜、自分が修正きかないじゃぁ〜ん(泣)」に、なってたりしちゃってたわけですよ。
でも本当に、グッバイがデビューして二十数年、今になって、ちゃんと20年後にも聞ける音楽を作ってたんだなぁ〜。ってようやく判った感じかな。
それを気付かせてくれた、CDを手に入れたみなさん、ライブに来てくれたみなさん、ライブに来れなかった怒りをぶつけてきたみなさん。本当にありがとうございました。
そんな1人、1人のおかげで、自分のやって来た事や、ギターを弾く人生を選んだ事に間違いはなかったって事に、気付かせてもらえました。ありがとう。
これからも、ギター弾かなきゃなぁ〜。なにせ、こんなマイペースな性格なので、あまりにも自信家&野望家ではないのです。
勢いとかで進む事は許せない僕が、今年はアメリカでギターを弾くチャンスを手にしたり、Rider Chips は歴代仮面ライダー主題歌のランキング最高位をゲットしたり、
あとは基本の音楽活動、作詞や作曲とかも、いい感じでできた1年だったし、ナレーションやラジオの仕事なんかも含め充実した1年でしたな。
ただね、いい事ばかりでもなく、そんな充実と同時進行で、疲れたり、迷ったり、怒ったり、困ったり、自分の事がマジで嫌いになりそうになったり、いったいなんなんだぁ〜!!今年はぁ〜!!だったかな。
まぁ、基本的には誰でも1年あれば色々な事があって、野村義男も例にもれず、日常が充実してるのに、心が安定しない1年を過ごした感じです。
楽しい思い出とイヤな思い出が混在する今日この頃、やっぱり、自分の居場所を探しそこねた2004年だったかもね。
2005年はぜひ、自分が実在するヒントを探してみたいと思います。
人間40にもなれば、色々とあるもんだね。
みなさんの2004年はどんな1年でしたか?僕は簡単に言うと、まだ野村義男を続けて行かなきゃなぁ〜、って思わせてくれた2004年でした。
なんだかウダウダと書いてしまってスミマセン。年の終わりにはあまりふさわしくない内容だったけど、最後まで読んでくれてありがとう。
おかげで少し、落ち着きましたじょ(笑)
素敵なクリスマス&新年を。来年も気楽によろしくね。

2004年師走

”アメリカ”ってゆう響きに憧れていました。
ほんの少しだけど、触れる機会がありました。
この10月『THE DAVID RALSTON BAND』のメンバーとして、INDIANAPOLIS を中心に車で行ける範囲でアメリカツアーGIGをしてきたの。
インディアナポリスまでは成田空港からだいたい11時間位でデトロイトに着きます。
すっごく広いデトロイト空港の税関&荷物受け取りに1時間以上かかって、(だって本当に厳しかったんだもん。家族構成や入れ墨の数まで聞いてくるんだよん)そして乗り換えて更に1時間、少し小さめの飛行機で、天気は雨のインディアナに到着。
楽器も荷物も無事に出て来たから、ちょっと一安心。
実は東京を出る前に体調を崩していたんだけど、荷物を置いたら、街の楽器屋さんへ。
基本的にこの街は”インディ500”ってゆうレースがある時はお祭り状態に大変身するみたいなんだけど、僕らが来た時期はシーズンオフ?らしく、すっごく紅葉が綺麗な自然に迎えられて、街にも自然に馴染む事ができた感じでしたぁ。
楽器屋さんで今回持ち回るアンプのチェックなんぞをしながら、やっぱりギターのチェックは端から端まで...(笑)店のお兄ちゃんもいい感じで、友達になるのも時間の問題でしたな。どうやら、このかいわいではほとんど日系人を見る事がないみたいで、逆に外人として楽しまれたみたいね。
ただし、最初に友達になった楽器屋のケンはあまりの早口で、聞き取れない会話をデイビッドに「何言ってる?」って聞くと「僕にも早口でわからな〜い」って言ってたから、本当に早いんだろ〜ね。そんな早口方言地域なのかなぁ〜?まぁ、気のいいでっかい人だったけどね(笑)
楽器屋さんを1軒、2軒、3軒と、とにかく廻って情報を手に入れてから、欲しいもの探しを始めるの。
困った事によちをさん、外国では、入る店、入る店、に必ず欲しい物を見つけちゃうので、全部買ってたら大変な事になるから、まずは地元の楽器屋傾向チェックをして、本当に欲しい物はとりあえずホールドしてから、後で計画的に買う様にしてるの。
この日はまずは1本ホールドして、食事へ。ピザがでっけぇ〜〜〜!無理無理〜って思ったけど、さすがにアメリカ人・日本人の混合チーム、あっと言う間に3枚たいらげてましたもの〜(笑)
夜は夜で久々の沖縄メンバーとの再会や、現地スタッフとの語らいパーティ状態で飲むわ、しゃべるわ、時差ぼけも手伝ってか、かなり遅い時間までは飲み&親好を深める会、そして習慣の違いや英語、日本語の教えあいが毎晩の様に続き、遅い昼を迎える感じなんだけど、2〜3日目の夜かな、急にデイビッドが「今から演奏に行くからみんな楽器持って出発〜」ってわけの判らない事言い出すから、たずねると「リアル・ブルース・バーがあって今夜は誰でも飛び入り出来るナイト(NYのアポロシアターのアマチュアナイトな感じかな)だったの思い出したのだぁ〜!」って言ってるから、僕的にはリアル・ブルースなんて、間違っても弾けないから「追い出されるだけだから、やめよぉ〜よぉ〜」って言ったんだけど、デイビッド曰く「演り逃げのつもりで行くじぇ〜!」になってて、ああ〜、コイツこうゆう時すっごく前向きアメリカン野郎なんだよなぁ〜(泣笑)などと思いながらも車が走る事40分位かな?ダウンタウンのMERIDIANにある”SLIPPEY NOODLE INN”に到着〜。
店の中に入るとカウンターだけで、ステージなんて見当たらない薄暗いホールをギターを持ったまま、ずんずん奥に進んで行くと、バーン!1階2階が客席で、どっからでも見え易い位置に1m50cm位の高さの立派なステージが。
お客もバシバシ入ってて、余計に”弱虫やりたく無い病”のよちをさん、涙ちょちょ切れる程やだなぁ〜って思ってたんだけど、まっ、日本人も居ないし、僕の事知ってる人なんか居ないんだから、遊んじゃえ〜!って、しばらくすると、僕らのステージの時間に。
持ち時間はたぶん20分位だと思うんだけど、1曲目からマイペース精神でいつもの様にギター弾いてたの。そしたらね、えっ?なに?なんだぁ〜?!
1曲目のギターソロの後に曲中なのに、すっごく歓声と拍手をもらっちゃって、中にはスタンディングでくれる人も居て、1曲目が終わった後にたぶん生まれて始めてじゃないかなぁ?”手が緊迫して、指先だけが震える”を体験して...。
なんだこりゃ〜?!
数万人の前で弾いてるんじゃなくて、百人位かなぁ?僕をまったく知らない人達がギターを聞いて拍手をくれたのがなんだか新鮮な経験で、しかもステージ降りた後に「CD作るのに興味ある?」みたいな誘いまでもらったりして(ツアー中に2回も!)
なんか音楽って、言葉を本当に超える事ができるんだな〜。などと感心しつつも、次の日から本格的にツアーは始まるんだけど、ツアーはもちろん何処もいいステージで、お客さんは、みんな大満足で家路についてたけど、デイビッド・バンドを見に来たお客ではない、逆に今日はどんな変てこ・バンドが見れるのかなぁ〜?って集まってる人達が、拍手をしてくれた、あの飛び入りライブが忘れられなくて、こんなに書いちゃったです。
今までどれだけ安全圏内で”野村義男”の名前におんぶして、生ぬるい日々を送っていたかってゆうのも見えたし、アメリカは広いけど、俺ちっちぇ〜。だけど世界は門を開けていつでも待ってる。のを感じるだけ今までの自分が恥ずかしくなったりね。
うぅ〜ん、本当は書きたい事がまだ山の様にあるんだけど、毎日の出来事より大切な感動を、僕はまだ、自分を見つめ直す事を忘れていなかった事を伝えたくて、その事にしぼってみました。エレキを手にした時から憧れてた遠かった”アメリカ”が少しだけ、僕に拍手をくれた事を大切にしたいと思った、30代最後のツアーでした。

2004年11月

きっと今だから話せるシリーズの中に”The Good-Bye”がありますです。
最近はベスト盤、DVD、オリジナルアルバム9タイトル、が発売されて、在庫が品切れを起こす程のにぎわいを見せているのですが、スタッフ、メンバー、本当に予想だもしない展開に大変喜んでおります。本当にありがとうございますです。が、実は今回のCDとかDVDの発売の話しが持ち上がった時に、最後まで「絶対やめようよ〜」って言っていたのは僕であります。
とにかく今回の仕掛人の方々と6〜7時間にも及ぶ会議(話し合い?)を数回行って、グッバイの素敵なところや、逆にグッバイで嫌だったところ(世間の風あたりも含めね)なんかを話してみたりして、現代の音楽の中にグッバイサウンドをポン!と出しちゃったら、こりゃまた、グッバイがかわいそうじゃんかぁ〜。などとのたうち廻っていたの。
だって、かれこれ20年位経ってる音源だし、今どきのコンピューター達に支配されてる現代レコーディング技術に比べたら、グッバイの様なアナログCDなんて受け入れてもらえるわけないじゃん。ってゆう弱気な所から、デジタルマスタリングだけじゃなくて、REMIXもさせてくれぇ〜、などともはや負け犬の遠ぼえにしか聞けない様なウダウダを僕は言ってましたねぇ〜。
ところが、スタッフ曰く、当時のグッバイでしか出来ない事をやってるんだから、そのままにしてあげようって言われて、嫌だなぁ〜。って思い続けていたのよ、でもね、実際問題出来上がったCD達を聞いてて、1st.から一気に聞けるって言うのもあってか、けっこう感動を覚えたんだよねぇ〜。
なんだよ、グッバイって面白いじゃん。
1stから9thまで確実に演奏も良くなってるし、曲作りとかも頭使っちゃってますねぇ〜(照)ってようやく第三者の目で耳で聞ける様になってたの。当時グッバイの音を聞いてファンになった人って、本当に素敵な感覚の持ち主だったんだろうなぁ〜?今の僕が聞いてて「あらまぁ〜、面白い事考えるなぁ〜この人達」って思う所がいっぱいつまってるんだもん。
大体今の時代の音楽・・・なんかとグッバイをまとめて見ちゃうのは大間違いってのもわかったし、今では僕がグッバイの大ファンになってる状態のまま、今年はツアーもあるし”大切にしてます”なんて口に出して言ってるばかりで、結局はビビッてるばかりで、行動そのものにはしてなかったなぁ〜。が、改めての反省すべき点だったかもね。本当に好きなら、もっと堂々と認めてあげればいいじゃん。
ましてや自分もその4分の1なんだから。ねぇ〜。
本当の事を言うと、グッバイが活動休止になった時”きっとこのまま自然消滅ね”なんて思ってて、心のどこかに少し”ほっ”としてる自分も居たりしたのね。だから、ソロになってからのライブとかでも、グッバイの曲は避けていたし、演っても1〜2曲お茶を濁す程度しかセレクトしなかったの。
ただしそれは、グッバイが嫌いとかではなくて、僕のライブで演奏して、誰かが理解してるのかなぁ〜?みたいなところから、自信が無くて、アコースティックとかで演ってみるかな?みたいなリハビリで立ち直っていった感じかな?で、今回のCD達を作る話に参加していくうちに「あの曲のデモテープとか聞いてみたい?」なんて、自分からいつの間にか言ってしまってるんですよ。この、あまのじゃく義男が(笑)グッバイが活動休止に入ってから数回の引っ越しをしていたにもかかわらず、20年前のテープやら、あげくには、メンバーのデモまで、キープしている僕って・・・・。
その中から数曲、グッバイを好きでいてくれた人、知りたい人、楽しみたい人、の為に自宅デモから、バンドリハまでの音源を入れてしまったしだいです。
今回気付いた事の中に僕はグッバイを嫌いだったんじゃなくて、グッバイににはかなわないから、見ないフリをしていた。って判った今日この頃でございます。
確かにあの頃に比べたら少しはギターも弾ける様にはなってると思うんだけど、あの4人だからこそのギターの意味、グッバイサウンドの意味がやっと見えた感じがしますなぁ。
ここまで読んでくれてるグッバイを好きな人に一言「今、僕はあなたの何倍も The Good-Bye が大好きです」支えてくれて、ありがとう。グッバイを忘れないでいてくれてありがとう。

2004年10月

 ♪もぉ〜い〜くつ寝るとぉ〜♪きゃぁ〜、やばやばですぅ〜(汗)
 ほんの数カ月でジョ ン・レノンと同い年になっちゃうよぉ〜(大汗)なんて事だぁ〜!
 もう、とっくにジミヘンやマーク・ボランよりも年上なんだけど、いざ、その年令が近づくと、ちょっと自分の今日までを振り返ってみたくなるのが、人間としての性ってもんで、僕も例にもれず考えてみたのね。
 そぉ〜すると、やっぱり楽しい事、悲しい事、嬉しかった事、辛かった事、後悔、感動、屈辱、自信、懺悔、出会い、別れ・・・・・。
 とにかく沢山の出来事、感情、が自分自身を作ってるんだなぁ〜。って思ったんだけど、なぜか、楽しい事を思い出すより、悲しいとか辛い事を思い出すほうが、簡単だなぁ〜。って思ったの。
 なんでだろぉ〜?これがもし僕だけじゃないって事になると、きっと、意識している、 してない、に関わらず、いつの間にか誰かを傷つけていたり、悲しい思いをさせてしまってる事があるんだろ〜なぁ〜。って思うんだよね。
 そうやって、誰かの心の中に住んでる僕は”やな奴”として存在してるのかもね〜。ごめんなさい。
 あのね、十数年前の話なんだけど、僕の心の中に残る話をした人がいて、その頃のマネージャーなんだけど、ちょうど僕がギターリストとしての仕事を始めた頃なんだけど、「僕は日本で1番有名なギターリストのマネージャーをしてる事に、誇りを持ってます。でも、ギターリストとして有名じゃなくて、老若男女が”芸能人の野村義男” として知ってる。ってゆうのが悔しいところなんですけどね(苦笑)」みたいな、話しをした時に、もっともっとギターを弾きたいって思ったんだよねぇ〜。
 正直言って、僕の中では、テレビの世界から出て来た自分だから、ギターで食べていくなんて、そりゃ〜とうてい無理な事じゃ〜ん。みたいな諦めもあった頃だったかもしれないんだけど、その1言は、けっこう僕の中で、こりゃまた”顔に出さない、表に見せない、負けず嫌い根性”に火をつけられてしまって、”とにかく食べる事より居場所を探さなくては・・・”に変わってきたんだよねぇ〜。
 で、僕の頭の中では、別に有名になりたいとか、テレビにがんばって出る。って必要もないなぁ〜。って結論になって、ライブとかよりスタジオの仕事に集中してみたんだよねぇ〜♪裏方さん的な事ね。
 そんな事を何年かしてたんだけど、1度テレビとかに出てた人間がテレビとかに出な くなると、世間の風当たりはこうなるんだぁ〜。ふぅ〜ん。みたいなのも体験して、色々辛かった事もあったけど、それでも夢に向かってると、色々な人達が「一緒にライブ演らない?」とか「バックバンドとか演る人?」とか少し興味を持ち始めてくれて、なにげに”ここが居場所なのかなぁ〜?”って思ったら、たくさん色々な人と演奏をしたくなってきて、思えば思う程、夢が形になってて、ふと気付くと、レコーディ ングももちろん好きだけど、ライブもやっぱり好きだぁ〜♪が判って、それからは、ようやく、表に出るのも大切だわ〜。ってわかった今日この頃、そんな”もぐってる” 頃も待っててくれたファンの人達にも大きな感謝をしています。
 きっと、僕より辛い思いをしてた人もいると思うしね。ごめんなさい&ありがとう。
 でも、気まぐれさんだから、また急に”もぐっちゃう”かもしれないけど、その時は 「また、何か探し物なのね」って思ってください。
 まぁそうなっても、ちょこちょこ呼吸をする為に顔を出すから、見のがさないで下さ いませませよ(笑)
 あぁ〜、ジョン・レノンと同い年かぁ・・・・。なんだか、不思議だぁ〜。
 ねぇねぇあのさ、最近の夜空って、星や月がね、少し前より見える様な気がするんだけど、空ってきれいになったよねぇ。

2004年8月

  「宿題やったの?!」「体操着もったの?!」「忘れ物は?!」・・・・。
 思い起こせば、小学生〜中学〜高校と、そうとうに、言われ馴れた言葉なんだけど、大抵、年令が小さい頃は「あっ!・・・・持って無かったぁ」などど、ちゃんと親に感謝の態度をちょっとだけ見せつつ、心の中では、大きな感謝をしてたりしてたんだけど、中学〜高校〜の年令まで来ると「朝から、うっせ〜なぁ〜」とか「わぁ〜かってるよぉ〜」「持ったってぇ〜言ってんじゃん」・・・・等々・・・。
 まったく今思えば本当に親に対して失礼の数々・・・・(反省)いつまで経っても子供は子供。
 おじいちゃんやおばあちゃんから見れば、自分の親も子供なんだよねぇ。
 でも、自分がやっぱり小さい時から「忘れ物は?」って言われ続けて来たからこそ、いつの間にか自分が言う様になってたりするのかなぁ〜?って思う今日この頃、思い起こせば、あの時言ってくれたから助かったんだよなぁ〜。って事が誰にでも1っや2っはあるんじゃない?
 上履きだったり、宿題、提出物、ハンカチ・・・。きっと、その1っ2っの為に何年も言い続けてくれてたのかもね。
 もしかして今、まさに言い続けてる人も居るかもしれないけど、煙たがれても、言い続けてあげて下さいな。
 きっと、心のどっかでちゃんと感謝してくれてると思うから。
 でもね、親元を離れたり、自分が言う立場になってきたりすると、あら不思議、忘れ物をする様になってきたりしない?
 基本的に僕の場合、物とかの忘れ物とかは、比較的に少ない人なんだけど、最近なんかね、その他の色々な忘れ物を感じる様になってきちゃったんだよねぇ〜。
 あのね、ツアーとかで、地方とかに行く事が多かったりするんだけど、ホテルとかにも忘れ物とかは絶対に無いのに、帰りの飛行機や車、新幹線とかに乗ってると”ムズムズ・モヤモヤ・あぁ〜、なんだろ〜?”って思う事が増えちゃって、何かさ心の中にある”何か”の忘れ物をしてきてるみたいなの。
 毎日の生活の中でも、あっち・こっちに思い出を忘れてきちゃってる感じなんだよねぇ〜。
 うまく説明できないんだけど、判るかなぁ〜?毎日の生活は過ぎ去って溜まっていくと、人生になるじゃん?
 ちょっと振り返ってみたんだけど、今思えば、小さな頃の”心の忘れ物”はそんなに無いんだけど、やっぱり本当の意味でギターとかにハマ リ始めちゃった中学生の頃から”心の忘れ物”は今日まで増え続けてるみたいよ。
 そんな中のとても大きな忘れ物なんだけど、僕ね、中野のバイク屋さんの長男として生まれたんですよ。
 やっぱり血はそのまま引き継いでいるらしく、小さな頃から乗り物が大好きで、跡取り的には申しぶんない感じだったんじゃないかなぁ〜?
 土日だったり、夏休み中でも店が開いてるなら、店番は当たり前だし、つなぎを着てシャッター開けてバイクを並べて・・・・。
 本当にそれが楽しくて楽しくての毎日でした。
 店番しながらギター弾いてたり、店の工具を使ってギターを改造してたり、すごく居心地のいい空間だったんだよね〜。
 テレビとかに出る様になって、あまり店にも出なくなって、ギターは上手になりたくて、家を出てひとり暮らしを始めて、ギターで仕事ができる様になってきて、自分に家族ができて、気がついたら”大きな忘れ物”を思い出 したんだけど、バイク屋のオヤジになりたいって思ってた気持ちを”心の忘れ物”してきてしまいました。
 今年、野村モータースは45年の歴史と共に閉店しました。
 僕の人生の中でもっとも大きな忘れ物は、もう取りに戻れない忘れ物になってしまいました。
 僕はギターしかさわれない忘れ物大王です。
 モータース界隈の連絡先を知ってたりする人が居るかもしれませんが、とりあえずは静かにしててあげてください。
 みんな今までにない位のパワーを使って疲れてます。
 こ〜ゆ〜時は静かに見守っててあげて下さい。
 野村モータースを愛してくださったみなさんありがとうございました。
 跡継ぎ出来なくてごめんなさい。
 でも、目標が出来ました。
 オヤジさんが店を始めて45年、僕はデビューしてまだ20数年、まだまだ半分しか届いていません。
 さぁ〜、ライバルもできたし、明日からもがんばりますかな。
 「ちゃんと、宿題やった?」

2004年6月

 うぎゃ〜〜〜〜!マ、マ、マ、マ、マジかるぅ〜〜〜〜〜!!
 実はジミーペイジが来日していると言う情報が入ってきて、しかも、NHKの番組に出演するらしいんだけど「野村義男にビデオで、ジミーペイジに幾つかの質問を英語でして欲しい企画があるのですが・・・。」って話しがきて、僕が「そんなの無理、無理よ〜」って返事をする前にマネージャーがね、受けちゃったのよぉ〜!
 ジミーペイジと言えば、僕が世界中で1番!崇拝するギターリストじゃあ〜りませんかぁ〜!!
 もうさ、その話聞いてから、何を質問すりゃ〜いいのか、しかも英語でだってぇ〜?!何日間かは、それで頭の中がいっぱいになってたんだけど、よくよく考えたら、ジミーペイジ本人に会うわけでもなく、僕が質問してるビデオをスタッフの人が持ってって、それを見てジミーペイジが答える訳だから、僕が混乱する事もないじゃ〜ん(笑)って思ったら、気が楽になって、昨日(3/9)ね、その撮影はあっと言う間に終わって、なぜ来日してるのかスタッフに聞いたら、ゴールドディスク大賞に出演のため。って聞いたの。
 あらま!僕もその現場に居るじゃぁ〜あ〜りませんかぁ〜(喜)
 しかも、明日(3/10)じゃん!って思ったら、せっかくなんで、撮影は終わったんだけど、ジミーペイジに見てもらうビデオの最後に(もちろん放送されない部分よん)「明日のTVプログラムは僕も出ます」みたいな事を英語でね、入れさせてもらったんですよん。
 で、今日(3/10)のお仕事ですよ〜。行きましたさ、NHKホール!
 楽屋割りを見るとあゆちゃんの隣がジミーペイジの部屋ですよん!きゃぁ〜!って思いきや、バンドは全然違う場所で、ありゃりゃ〜、やっぱ、接点無いよなぁ〜。なんて思いながらも、無事リハーサル終了して、時間があったから、場所が渋谷なので、やはり楽器屋さんに時間つぶしも兼ねて行ったのね、そしたら、横にさ、立ってるのよ!ジミーがぁ〜!!!
 そう!あの!ジミーペイジだぁぁぁぁ〜〜!!!!ジミーペイジがギター見てるぅ〜!!!!しかも僕の横でぇ〜!!!!もうね、僕はギターどころじゃ無かったねぇ〜。もぉ〜頭の中は大パニックよ。
 ”あの〜、金八先生であなたの曲、25年前に弾きましたぁ〜”じゃなくて”マッチ・バンドの時の衣装の肩にはあなたのシンボル・マークを付けてましたぁ〜”じゃなくて”部屋にはあなたの写真をパネルに入れて飾ってますぅ〜”じゃなくて、どおすりゃいいんだぁ〜!!なんなんだぁ〜!!
 きっかけは〜!!フジテレビ!!じゃなくてぇ〜!話しかけてみるべきか、どうすりゃいいんだぁ〜!!デジカメも携帯も持ってるし、サインペンだってお店に言えば借りれるぞぉ〜!!あぁ?!どぉ〜しよ〜!!”実は昨日、ビデオであなたに質問・・・”おいおい、まだそのビデオ見て無かったら、ただの危ない奴になっちゃうぞぉ〜・・・。
 あぁ〜、苦しい〜!!って思った時にね、ふっと、自分が逆の立場ならどうだろう?って思ったの。
 彼は今の時間、プライベートで、好きなギターを、見に来てて、楽しんでるのを「サイン〜」とか「写真を〜」とか、なんか言えなくなっちゃって、本当に30年近くずぅ〜っとファンなんだけど、本当に好きならばそっとしとこぉ〜って思って、店を出たのね。本当は写真もサインも欲しかったけど、同じ空間で、ほんの数分だったかもしれないけど、一緒に居られた自分はすっごい幸せだったんだよねぇ〜。
 で、そのまま幸せ気分で、NHKホールに戻って本番。
 ジミーペイジが見てるなんて事も無いかもしれないけど、久々に(ほぼ初めてかも)緊張したなぁ〜(笑)
 あゆちゃんが最後の曲だったので、バンドはその場に残って、出演者全員がステージにラインナップして、無事番組終了〜。
 心のなかで(僕、さっきジミーペイジと楽器屋で並んでギター見てたんだぁ〜)などと思ってたりしてたんだけど、放送が終わったら、ジミーペイジがステージ上で僕の所に手を差し出し近寄って来て「昨日、君のビデオの質問に答えたよ」とか色々話しかけてくれたんだけど、あまりの急な出来事に「イ、イ、イエス」とか「リ、リ、リアリ〜?」位しか答えられなくて、それでも、あの手の感触は忘れられなくて、もぉ〜!楽屋に辿り着いた時には崩れ落ちちゃって、なんかね本当は「Wネックもレスポールもギター低い位置で弾いたり、変則チューニングとか・・・・あなたにあこがれて・・・」とかいっぱい伝えたかったんだけど、もぉ〜、それどころじゃ無かったよぉ〜(笑)
 なんか今日は長い文章、そしてミーハーになっちゃったけど、ほんの少しだけど、僕がレッド・ツェッペリン号に触れる事が出来た瞬間を、まだ、同じ日本の空の下にジミーペイジが居るうちに書きたくて、書いてしまいました。
 伝説の指にふれた時は涙があふれたねぇ〜(照)
 しかも、僕を覚えていてくれた事に感激!!今日は、僕の人生の中のほんの数分と、ジミーペイジの人生の中のほんの数分が重なったんだじょ〜。
 もぉ〜、ジミーったらぁ、どれくらいの人の人生を変えちゃったんだろ〜?僕の周りには軽く数えても数十人は居るぞぉ〜。
 あぁ〜、また、ギター弾きたくなっちゃったじゃないかぁ〜♪(感謝)
 本当に素敵な人でした〜。くぅ〜っ♪

2004年3月10日

 なんかね、よく気になっていた事なんだけど、たとえば久しぶりに電話をした相手が「最近おもしろい事あったぁ?」とか聞いてくることない?
 あれさ、僕的にはすごく苦手&嫌いな言葉だったりするんだよね。
 特に僕から電話をした時に言われると、がっくししちゃったりするのね。
 せっかく話したい事orたのしい情報があるのに、「最近おもしろい事〜」とか言われちャうと、なんか出鼻をくじかれちゃう感じで、「ん?特に何も無いよ、いつもの通り」って答えちゃうんだよねぇ〜。
 でさ、本当に何もないのかなぁ?って改めて考えてみたんだけどさ、毎日が同じ日なんて事はじぇったいにあり得なくてさ、何か出来事があったりするんだよね。
 それが悲しい事だったり、痛い事だったり、むかつく事だったりする事だったりすることもあるんだけど、何年かすると笑い話になってる事もあったりして、毎日が色々な出来事の連続だったりするんだなぁ〜。って思ったの。
 ”いつもの通り”なんてあり得ないってね。
 で、実際の僕はと言うと、毎日たくさんのUP&DOWNを楽しんで過ごしています。
 毎日がうまくいかない事や辛い事もあるけど、楽しんでやってます。
 もの事に対する考えを、少しだけ改めるだけで、気持ち的に楽になったとゆうか、楽しめる様になったんだよね。
 考え方をプラスにプラスに持って行って自分を楽しんで生活するだけで、誰かに「最近おもしろい事〜」なんて何か楽しむヒントをもらう事もなくなるかもよぉ〜。
 うぅ〜ん、なんだか今回はなんだか本当の”おやじなたわごと”になってしまったぁ〜(笑)
 もう僕に「最近おもしろい事あったぁ?」って聞かないでね。
 毎日がおもしろい事だらけだから(笑)

2004年1月31日

 新年明けちゃいまして、おめでとうございますです。
 今年も何かとちまちまやってると思いますが、何とぞ温かい目で見守って下さいませませ。どうぞ、よろしくお願いします。
 さて、新年といえば、今年の豊富だったり、目標とかを発表するには絶好のタイミングだったりするのですが、僕の場合、これといって思い付かないんですよぉ。(まぁ、毎年の事なのですが)がんばって頭を使って考えたところで、実行にうつしたのは、きっとほんのちょっとだと思うのね。
 ここ数年を振り返ってみても、大体が半年近く過ぎようとしてたりする頃に「あっ♪あれ、やってみよ〜。」ってなもんで、スタートが相変わらず遅い奴なんですわ。
 おととしの禁煙も5月辺りに急に「あっ♪今年禁煙にしちゃお〜。」とか、去年は6月に入ってから、「あっ♪今年中に20kg体重おとしてみよ〜。」なんて、思うのですのよん。
 決めた事は確実に達成するんですけど”今年何かをしよう”を見つけるまで、半年近くかかっちゃうんだよなぁ〜(笑)
 マイペースでしか、表現できないから、今年も半分過ぎ辺りには何か見つけると思うので、のんびり見てて、下さいませませ。
 でもね、マイペースってさ、もっとも難しい行動だったりするの知ってたぁ?
 大抵が、自分が思っているスピードがあったりするのに、上司なりもしくは友達、家族、部下、お客さん・・・。とにかくペースを乱されちゃたりするんだよねぇ〜。
 とほほほほ・・・・。
 本当にみんな、大急ぎさんばっかりなんだからぁ〜(笑)人それぞれの時間尺があるんだってぇ〜。って言ってる僕も誰かに何かをお願いする時は、大急ぎさんなんだけどねぇ〜(謝笑)
 でもさ、その個人の時間尺を1年とか10年とかで割り振ると、今度はね自分自身が耐えられなくなったりするのよぉ〜これが。あせっちゃったりしてね。
 でもね、それを克服すると、新年の豊富が、半年ズレちゃたりするわけ。(本当かぁ〜?(疑笑))
 あぁ〜、こんな事書いていると、どんどん言い訳がましくなってゆくぅ〜。あぁ、からまわり・・・(困)
 いったい、何を書きたいのか、どんどんわからなくなってきたぁ〜(泣)
 とにかく、今年もよろしくお願いします。なのだぁ〜。

2004年1月1日


哲学道トップ

2005年

2003年

2002年

2001年