やばい、やばい、やばい。
マジやばい。
何だろう?
まず、わかってもらわないと、イケないのは、よちをさんは、とても「昭和・命」の人なんです。
先日、まったく、購入する予定も無いのに、本屋さんでお金をはらう直前に「目についた」本がありまして、無意識のまま手に取って買ってしまった本「昭和30年代・40年代の世田谷」あぁ〜、もちろん今ね、住んでる近所って言うのもあるんだけど、自分が生まれたのは新宿で、育ったのは中野ってバックボーンならば、世田谷には目もくれないハズなんだと思うのね。でもね、その本の写真を見てると、僕が生まれる前に、明らかに見た景色がそこにあるんだよねぇ〜。
もぉ〜ね「懐かしい」とかじゃなくて「心・締め付ける」感じなのはなぜだろう?
世田谷に限らず、昭和の初期の写真展や、映像には、もぉ〜、誰も止めれない何かが僕の中で走り出すのね。
これはどぉ〜ゆう現象なのかなぁ〜?
もちろん江戸時代とかも興味はあるんだけど、大正・・・明治・・・昭和・・・平成・・・。どぉ〜しても、心が昭和から逃げれません。
今日ね、ネットでちょいと岡田嘉子さんの生涯を見ていて、画像とか映像があるのかなぁ〜?
なぁ〜んて思って、調べていたら、思わぬ方向で、昭和の初期の映像がかなり残っている事に感動してう〜んとね、これでもかぁ〜!
って言う位、当時の映像を何時間も見ていたんだけど、明らかに、自分が見た景色を探してる感じなんだよねぇ〜。
もぉ〜ね、この気持ちの感覚はどぉ〜説明すればいいのか判らないんだけど、キュン。ってなってます。
僕が生まれた1964年、日本で、この年に生まれた赤ちゃんが、1,716,761人。
同じ歳だとすると、その中にマッチ君を始め、一生の付き合う人と出逢いました。
その中でも一緒にバンドもやってるなんて、この確率って、同じ歳に対しては1,716,761分の1でしょ?
でもきっとね、生まれる前から、何らかかわりが有って、出逢ってると思いたいんだよねぇ〜。
って事はさ、きっと、僕と何ら関わりのある人達も昭和30年代の写真を見たら「う〜、何だか、なつかしぃ〜って言うか、切ない感じ〜」ってゆうのが、有るのでわないかと思うのですが、どうなんだろう?
だってさ、大半が、東京都外に生まれているのに、今、東京で生活してるのよ。
例えば、僕は東京生まれで、東京から出る、何かを必要としなかったから、そのまま東京に住んでるのは不自然では無いと思うんだけど、自分の生まれた土地を離れて、東京で生活をして、同じ歳に生まれ、よちをと出逢う。
僕は中野を出て、世田谷に住んで中野以上。
これはさ、偶然とかそんな問題では無く、必然的に逢うべくして、出逢ってると思うのね。
ましてや、同じ音楽とかの交わりで逢うなんて、もぉ〜、神様のイタズラ系だよねぇ〜。
生前も同じ現場や会社とかで居たり、家族だった人を、別の地域に生まれさせて、でもその人同士はやっぱり引き合う何かで、出逢ってしまう。
でも、今人生がお互いに音楽がらみだったりして引き合ったんだけど、次の人生は、政治家かもしれないし、商店街のお向かいさんかもしれないし、必ず、今かかわってる、友達や仲間、恋人、家族・・・。
自分の人生に必要だから出逢ってるんだと思うよ。
僕は、同じ景色を、昭和の景色を見て「あっ、ここ!」って言える人を探してる今日この頃です。
「激動の昭和」とかよく言われるけど、よちをさん的には「せつない昭和」かな。
自分は生まれ変わったら何をするか。よりも、生まれる前、何をしていたのか知りたいなぁ〜。誰か僕の生前を知ってる人、いませんかぁ〜?
