野村哲学道  「野村のたわごと。」の入り口

さぁさぁ、今年も残す所、わずかになってしまいました。
あなたの今年は、どんな1年でしたか?
何回、笑いました?
何回、泣きました?
何回、感動しました?
何回、怒りました?
何回、落ち込みました?
何回、感謝しました?
何回、嘘をつきました?
がんばった1年だったでしょうか?
きっと、全部ひっくるめて自分ですから、来年もよろしくの気持ちを込めて、今年も色々な自分を引き出してくれた「自分」に感謝したいと思います。
今年の自分を振り返れば、色んな事に目覚めたッて言うか、気づかせてもらえた2011年だった感じでしたね。
たぶん、たくさんの人が同じ思いや気持ちを共有出来た年になった気がします。
自分のギターのコレクションが小さな一歩かもしれないけど、オークションを通して赤十字に寄付したり、生きている大切さも知る事が出来て、少しかもしれないけど、優しくなれた気がします。
もちろん、今年もギターをたくさん弾く事ができた、弾かさせてくれた事に感謝です。
やっぱりLIVEとかって、みんなが来てくれることによって成立する事だから、今年もライブで弾く事が出来る状態を作ってくれてる、音楽好きなファンのみなさんに、ありがとう。
自分が好きですか?
僕は、大好きです。
だからこそ、明日も楽しい1日が過ごせる様に、大切にしています。
今年もギターを弾かせてくれて、ありがとうございました。
来年も「ちゃらんぽらん」で「気まぐれ」な僕でございますが、来年も「ブレない」2012年を過ごして行こうと思っているので、どうぞよろしくお願いします。
そんな、よちをさんのマイ・ブームは「夜の一人暮らし、おつまみ大作戦」で、ごじゃいます。
材料:納豆と冷蔵庫にある物(笑)
ちなみに今夜のバージョンは、
納豆、御漬け物(きゅうり、白菜)ネギ、ゴマ、ちくわ、紅しょうが、福神漬け、卵(黄身のみ)、(時折りチーカマとかも)
さぁ、この食材ちゃん達を、納豆の粒くらいに、みじん切りにして、からし、納豆のタレを入れて、とにかく混ぜます。
それを、5〜6cm四方の海苔にのせて、いただくのです。
具の多い、ごはん抜きの納豆巻き的な感じと思ったら、こりゃまた別世界なので、一度、お試しあれ。
ちなみに、これで「ジャック・ダニエル's」を飲んでおります(笑)

2011年 師走

2011年、ライダーチップスが4枚目のオリジナルアルバムを作りました。
今から書くのは、宣伝とかじゃなくて「CDを作る」を初めて書いてみます。
アルバムを2年ぶりに作る事になりました。
くしくもそんな話しになったのは、2月の事。
メンバーそれぞれ曲を持ち寄って、どんなCDを作るか、最初の打ち合わせは3月24日。
それまでに、みんなが曲のデモを製作して持ち寄る事になっていたので、そろぞれの作曲中に、3月11日の最悪な出来事が起きました。
もちろん東京も、体験した事の無い揺れを感じました。
それぞれのメンバーと連絡を取って、無事を確認して、でも、レコーディングをストップさせない様に自宅作業はそれぞれ続きます。
3月24日、みんなで持ち寄った曲を聴いて、12〜3曲がレコーディング候補になって、さぁレコーディング。
なんと、初日は伸びて伸びて、7月19日。
あらかじめ決めていた曲のレコーディングに入るんだけど、何だか「いいアルバムを作ろう」だけじゃないかも。って感じちゃって、半分の曲をボツに。更に作り直す事に。
でも、目指してる発売日もある。
ただ作るだけなら、メンバーの誰を見ても、どんな曲でもこなせるのはわかってる。
でも、何かスッキリしなくて、レコーディングに入っているにもかかわらず、数曲の変更。
いままで、RIDER CHIPS は、もちろん、バンドを初めたコンセプトは曲げずに、正義、負けるな、愛、立ち上がれ、悪は許さん、的な曲を歌ってきました。
もちろん、かっこいいし、間違ってない。
でもね「愛」は歌ってきたけど、誰かに対する「愛」は避けてきたのかも。って事に気づいてしまって「ラブソング」を解禁したい。
「ラブソング」を歌いたい。今だから。
大人になっての「ラブソング」の形を知らずに、作れずに「ライダーチップス、好きなんです〜」なぁ〜んて、言えなくなってきたのかもね。
もちろん地震があって考える事もたくさんありました。
僕的には、もうね、個人でギター本体をこれだけ抱えてる事自体に不安があって、地震以降、3ケタにのぼる数のギターを、友人にプレゼント、赤十字に募金、手放す、作業をしています。
さぁ、アルバムを作るにあたって、作詞をしなければいけません。
もちろん、メンバースタッフには「ラブソング解禁ですから!」決めちゃいました。
これはね「好き」とか「愛してる」って言葉を知ってるのに、照れくさかったり、はずかしかったりして言えない人が居ると思うの。
でもね、言いたいのに、言いたい相手が居なくなっちゃったら、どうする?
一生、悔やんでも、悔やんでも、言えないの。
その人の変わりなんか居ないの。
音楽も一緒。
今だから、言える「I Love You」があるハズなんだ。
ライダーチップス、少し素直なバンドに(ようやく?)なりました(笑)
とにかく、ロックな精神や気持ちは薄れずに、こんなに「I Love You」を歌いました。
2011年、考える事も、学ぶ事もたくさんあったけど、僕たちは、音楽をやり続けます。
一生、ライダーチップスを知らないで過ごす人が居てもいいんです。
だけど、僕らの作ってる音楽を聴いてくれる人には、何十倍もの「愛」を届けます。
CDを聴いて、何かを感じてくれたら嬉しいです。
ライブに、興味本位、冷やかし、とにかく見に来てくれたら嬉しいです。
そこには、自然体の、音楽しかできない、ロックが大好きな、愛にあふれたメンバーが、音を出しています。おふざけもしています(笑)
あとね「オドレナリン」の最後に「君がそこに居るの知ってる」という曲が入っています。
これは3/11の曲ではないです。
日常、今日、昨日、これからの、聞いてるあなたの歌です。
とにかく、今回のアルバム、色々なメッセージが込められています。
僕らにとって本当に大切なアルバムが出来ました。
アルバムの事を書くなんて、初めての事です。
本当に、たくさんの人に聞かせたいです。
ちなみにね、裏ジャケの子供達は、1st からの同じ子なんですよ。
1st は1人の男の子ですが、3rd では弟が出来ました。
4th でも一緒に居ます。世界で唯一無二の兄弟ですから。
RIDER CHIPS に関わってる人達、聴いてる人達、メンバーも、成長していきます。
生きてるから「I Love You」を伝えたいんです。
生きてるから、伝える事が出来るんです。
ここまで読んでくれて、ありがとう。

2011年11月

野村義男47歳。
たくさんのメール、プレゼント、ありがとうございます。
あのぉ〜、特に何かが変わったとか、47歳だから・・・。とかは何も無いのですが、
自分がこの年齢になった時にどうなってる。なんて、考えた事が無かったので、
今だに「欲しいギターがあるんだよなぁ〜」とか考えてる自分で良かったです。
さすがにデビューとかした頃は、想像もできない位、ギターの仕事をしています。
あの頃、夢描いていたスタイルな人生を送ってきているかは覚えていませんが、
今日の自分が、とにかく、たくさんの人に、支えられて、関わって、生かされて、ギターを弾いてる。
本当に、ありがたく、思います。
感謝。
さぁ、どぉ〜しようかな?
50歳を目指してマイペースか、ビジョンを決めて進むか。
どっちにしろ、1人では何も出来ないし、動きもしない。って思ってる人なので、
周りの人に、更に「甘えて」色々とやって行きますかな?(笑)
1人も好きです。
でも、たくさんの仲間、友人、家族と居るのも大好きです。
いっつも危機感を持って、楽しく、真剣に、ふざけて、これからもやって行こうと思ってます。
僕ね、コンプレックスを持ってる人が好きなんです。
ちょっと「変」かと思われるかも知れないけど、本当なのね。
何せ自分がそうだから、どこかにそんな風に思ってる人を見ると、何だか1人じゃない感じがするんだよねぇ〜。
どんな天才でも、美人でも、営業成績がいい人でも、社長さんでも、どこかに、何かがあるはずなんだ。
だからこそ、自分と戦える感じがしてるんだよねぇ〜。
僕のコンプレックスなんかを上げたら、キリが無い程だし、弱点を教えちゃう事になるので、書きませんが、だからこそ、今日もギターを弾いています。
もっと練習しなきゃ。
誰よりもギターの事を知っていたいし。
いつになったら、日本一の「ギターバカボン」になれるか、見ててねぇ〜。
野村義男47歳。
この年齢も、ギター三昧で、更なるギターバカボンを目指して、日々コンプレックスと戦いながらも、
前に進んで行きたいと思っておりますので、どうぞ僕の人生を見て聴いて、楽しんでください。
うわぁ〜、いつの間にか47歳かぁ〜。
どぉ〜しよ。
確実に46歳より楽しい毎日が待っていると思って、楽しんじゃお。
「野村義男に生まれて良かったぁ〜」って思える毎日にしよぉ〜っと。
あのね、ここだけの話し、野村義男として生きて行くのって、いい事もたくさんあるんだけど、めんどくさい&イヤな事も、同じだけ用意されてるの。
だったら、全部楽しまなきゃ、つまんないじゃん。
でもね、僕に限らず、ここまで読んでしまったあなた。
あなたにも、いい事と面倒と嫌な事、同じだけ用意されてるハズだから、
全部楽しむ様に心がけたりしたりするとするじゃん。
そうすると、意外と楽しい比重が増えてくるハズだから、楽しい毎日が待ってる。に、なるかもよ ♪
そんなこんなな野村義男47歳も、日々楽しくギター弾いて毎日を過ごして行きますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。

2011年10月26日

あの〜、あえて、何がどうこうって訳じゃないんだけど、長い付き合いや愛用ってあるじゃないですか。
例えば、好きなメーカーの品物があって、世代を越えて、そのメーカーのものしか肌に合わないんですぅ〜。なぁ〜んてのもあると思います。
この車に乗って数十年〜とかね。
もちろん、よちをさんなんかも、ギター始めて何十年で〜す。とか言ってますが、同じギターを弾き続けて来てる訳じゃないし、ましてやメーカーも製造国もバラバラだったりして、意外と執着心がないのかなぁ〜?
なぁ〜んて思ってしまった時に、特にこだわりもなく(笑)何と!高校生の頃かなぁ?
15歳か16歳だったと記憶しているのですが、当時にファンの人にもらった「目覚まし時計」
を、今も愛用しているのです(驚)
だから、この30年間のほとんど毎日の僕の生活を見て来た時計でございます。
幾度の引っ越しや、寝ぼけて投げられたり、スプレーをされたり、ステッカーを貼られたりされても、
この30年間、1度も止まる事無くと時を刻んでくれてます(感謝)
きっと、プレゼントされた時に「目覚まし時計」を持っていなかった。とかの理由で使っていただけなんだろうけど、さすがに気がつきゃ30年も一緒に居ると、もはや手放す事は無いと思うのですが、
そんな時計君にも、やはり機器だけに「危機」もございまして、奥さん的には単なる「古い時計」なので、
「これまだ使うのぉ〜?新しいの買う?」とか聞かれた時に「うげぇ〜っ、まだまだ現役で行けるから、新しいのいらないしぃ〜(汗)」みたいな事を言った様な記憶が・・・。
この黄色い目覚まし時計をくれたファンの人が見ていたら嬉しいんだけど、
「あなたが中学生か高校生の時の、もしかしたら、ギリギリのおこづかいで買って、野村義男にプレゼントした黄色い目覚まし時計は、まだまだ野村義男のお世話をしながら、30年間、ずっと働いてますよぉ〜。お礼の返事が遅れましたが、どうもありがとうございます。まだまだ元気にベルを鳴らしてくれていますよ。これからも現役のまま使わせていただきますね。ありがとう。」

2011年5月

1979年10月26日、野村義男は15歳の誕生日を迎えました。
そしてその日「3年B組 金八先生」の第1回目の放送日でもあり「梶浦裕二」と言う生徒がその3年B組の教室のいちばん後ろの席にガムを噛みながらいました。
生まれて初めてもらった役名。
15歳の誕生日がデビューのドラマの放送日。
その日、僕たちは「3年B組金八先生」の撮影でTBSに居ました。
金曜日の夜8時放送。当時の裏番組は「太陽にほえろ」「プロレス」・・・。
確実に勝てる相手ではありませんでした。
その日の撮影に関係していた生徒数人と、TBSの、イスも数える程無い、小さな編集室のテレビで、第1回の放送を見ました。
セリフも無い様な生徒の1人。それが梶浦裕二。
その日の数ヶ月前のある日、ジャニーズ事務所から9人の子供達、その中に僕はいました。
TBSの会議室の様な部屋でオーデションを受けたんだけど、幾つかの質問をされたあと、そこに居た全員が作文を書きました。
そう、たぶん「自分はどんな人か?性格か?」みたいな題材だったんじゃないかな?
僕は「初恋は年上の先輩で・・・」みたいな事を書いたのを覚えているんだけど「3年B組金八先生」第3回の梶浦裕二の主役の時のストーリーは「年上の人に恋をして・・・」
他の人がどんな作文を書いたかは知らないけれど、番組を見てれば、おおよそな事は判る感じかな。
その9人の内、3人が受かって、3年B組の生徒になるんだけど、すでにオープニングの冒頭シーン、金八先生が「3ねんBぐぅ〜みぃ〜」生徒「金八先生〜!」わぁ〜!ってゆうシーンを覚えているかしらん?実はその撮影の時には、僕ら3人はそこには居ないのですのよん。
その時はまだね、3年B組じゃないの。
本当にさ神様のいたずらか、たまたま後から追加された、オマケ生徒?だったのかもしれないよね。
だから席も後ろの方だったのかもね。
オーデションの数日後。
学園ものの新番組の生徒の1人として受かった連絡をもらって、番組名を見てがっくししたのを覚えています。
金曜日の夜8時放送で、金八先生・・・。
これが自分のデビュー作になると思ったら、とても14歳の自分には恥ずかしい番組名でしたねぇ〜。
番組が始まって、しだいにみんなが見てる番組だと判ってきた頃には、いつしか恥ずかしさは忘れていましたが。
半年間の撮影、放送。
本当に素晴らしく、誰も体験できない半年間でしたねぇ。もちろん戻れない半年間。
あの15歳の誕生日の放送が始まらなければ、今日もギターを弾いている事は無かったでしょう。
あれから32年。
平成23年3月27日、金八先生ファイナル。
もちろん、卒業式への誘いはもらいました。
でもその当日はすでに仕事が入っていた事もあって、断りました。
もぉ〜ね、3年B組の同級生に会いたいし、金八先生にも、他の先生達、スタッフのみなさん・・・
すっごく会いたかったなぁ〜。
そして一緒に金八先生を送り出したかったなぁ〜。
しかも、仕事をしていたスタジオも、卒業式の会場へ15分程の距離。
そんな日に限って、早めにお仕事が終わったんだけど、ごめんなさい。
自分が梶浦裕二になる勇気が無かったので、行くのをやめました。
行けば同級生達は「裕二」と呼んでくれるだろうし、その心地よさは、デビューとかの前の、あの時にしか味わえない絆同士の名前だし、自分の中の大切な部分だしね。
ちょうどその頃パート1の再放送を昼間にやっていたりして、ちょっと見る機会もあって見たりしてしまったのが、余計に気持ちを会場に行かせませんでしたね。
見てる人の夢を壊してしまうんではないかとか思ったら、そんなに精神的に強く無いんで「梶浦裕二」に戻るのをやめました。
「パート1の生徒としては行くべきだ」的な声もありましたが、テレビ的にはそうかもしれないけど、そんなに気軽に行けないって。髪の毛は長いし、体格も違えば、ほら〜、役者は何十年も廃業だし、いつしかテレビが苦手な人になっていたので「梶浦裕二」と「野村義男」を比べられる事に絶えるだけの精神は持ち合わせていないの。
あと、イメージはイメージ。
想い出を壊さない様に、金八先生の為に、会場に行かない選択をしました。
生徒目線な文章すみません。でも、会場に来た卒業生も、テレビの前の卒業生も、みんな真剣に自分を生きていると思います。
それは金八先生の教えがあったから、3年B組の卒業生だから、芸能界にいようが、一般の生活をしていようが、金八先生の授業を受ける事が出来たのは、240人程の3年B組の生徒だけだったんだから、みんな涙をいっぱい流しながら、大笑いしながら、たくさん悩みながら、自分を、自分のために、生きているハズです。
自分が本気で生きていれば、回りの人も幸せに出来る事を教えてくれたのは金八先生だったから。
金八先生は一生懸命過ぎます。
なんでだろう、涙が止まらない。
坂本金八先生には、もう2度と会う事は無いでしょう。
さようなら金八先生。
32年間ありがとうございました。
さようなら3年B組。
一隅を照らせる人になれる様にがんばります。
3年B組は楽しかったです。宝物です。
32年間お疲れ様でした。

桜中学 昭和55年度卒業生 3年B組 梶浦裕二

3月11日
10:30/次女の保育参観で幼稚園にいました。
子供達の元気な歌声、今日の為に書いた絵・・・。
とても平和な時間を過ごして、その足で奥さんと次女と3人でランチ。
そして僕はリハーサルの為スタジオへ。
13:30/海沿いの5階のスタジオに到着。
14:00/浜崎あゆみのツアーリハーサルがスタート。
14:46/曲を演奏中に揺れを感じて、演奏中止。
揺れが治まるのを待っていたけど、まったくその気配を感じなくて、立っているのが危険を感じてギターを降ろした時点で更に大きな揺れが激しくなって、楽器やアンプが激しく倒れようとしてる中、スタジオ内のスピーカーを押さえているのが精一杯になっていて、アンプの上のコーヒーは飛び散り、iPadは床を滑り、頭上の大きなエアコンは激しく左右に揺れて、メンバー、スタッフは声を殺したまま、身の回りの楽器や機材を押さえているし、もぉ〜、何が起こっているか本当に判らない状態で、時間が過ぎていきました。
揺れが治まったかと思えば、すぐにまた揺れが起こる。
そんな事を数回体験して、スタジオの中では扉が閉まらない様にしてるスタッフや、積み上げた楽器を低く降ろしたり、電源を切る事を声かけていたり、みんな生まれて初めて体験する地震の中で、いかに冷静に、何をすればいいかを声を出してお互いにリーダーシップを取れるスタジオ内でした。
音を出すスタジオでは、演奏の音が漏れない様に、分厚い扉が二重になっているのですが、もし部屋が歪んで、扉が開かなくなったら、すでに人の力などでは開かない状態で閉じ込められちゃうのね。
何度かの大きな揺れを感じた後に非難の声がかかって、もちろんエレベーターは止まっていて、階段で1階へ。
実際は天井が高い建物で、倍はある様な高さを階段で降りて、駐車場へ非難。
他の階や、スタジオの人達や近所の会社の人達も続々と外へ。
まだ揺れは続いていて、ふと目の前の「ゆりかもめ」を見ると、海の上でストップしていて、窓を見るとたくさんの人影。その先のお台場からは立ち上る黒い煙。
外にいても何度も揺れを感じる。
気付くとヘリコプターが何台も飛び交い、近くどこかで鳴り響くサイレン。
そこに車を停めてるメンバーの車のテレビで、東北、関東が、大変な事になってるのがわかって、家に電話するけど、思った通り、かからない。
メールを送っても返信も無く、災害時の連絡を取る事が困難な事を、改めて思い知らされるんだけど、何度かトライしてるうちに家族の無事を知る電話がつながって、ふと「ゆりかもめ」を見ると乗客がレールの上を歩いて、非難してるのを見て、ドキドキながらも安心したりしました。
そんな中、まだまだ余震も続いているので、今日の演奏は不可能って事になって、リハーサルは中止になって、帰宅を始めたんだけど、スタジオを出発したのが16:00。
いつもなら40分くらいで帰れる距離なんだけど、家に着いたのが21:30。
おおよそ5時間半。
ずっと車の中でニュースを見ていて、唖然となるも、どれほどの地震かも把握。
電車もストップして、歩いて帰ろうとする人の波は道にまであふれてました。
家にたどり着くと、家族はテーブルの下で非難生活をしていて、僕の部屋はギターが何本もCDの下敷きになっていて、ギターを救出してる最中も何度も余震が続いてるし、凄い状態だったのも感じたのだけど、もうそれからは、テレビで報道されてる映像に胸が痛い状態です。そして津波、原発。
ただ、ただ、驚くばかりで、何が出来るか思ってる時に、外国からの支援。
韓国、アメリカ、中国、ロシア・・・69もの国から支援の申し込み。
もぉ〜ね、涙がとまらなかった。
言葉が通じない国からの救助。地球ってどれだけ支え合って成り立っているか凄く心に響きました。
自分にできる事は募金くらいですが、早く早く、被害にあった人達が笑顔になる事を祈っています。
この地震で犠牲になってしまった方のご冥福を祈ります。
まだまだ余震も続いています。早くこの悪夢が終わります様に。
「がんばれ」って言葉は好きではないのですが、この言葉しか思いつきません。
被災したみなさん、色々な事に負けないで、希望を失わずに頑張ってください。
そして、一人でも多くの命が助かります様に。

2011年3月13日

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